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手札論1
- 2015-10-20 /
- カルドセプト
どうも、素破です。
カルドの醍醐味の一つに、手札を捨てることについて言及したのはセプターT氏であるが、今回は自分の手札についての考えを述べていこうと思う。
■疑惑の手札清算効率
まず一つに「手札の清算効率」という概念について、部分的には批判的立場にいることから述べていこう。
50枚のカードは、どれもがゲーム内で効果的に利益を上げることを想定して搭載される。手札を使わずに捨てる行為は、少なくとも50の枠から見て損失であるという考え方だ。
いくつかの要素は重要度が高く、ドローの確率を上げるため枚数を多く取られている。最たる例が領地コストの無いクリーチャーで、これを20R中1枚も引けないとなると壊滅的な劣勢を強いられる。
そのような事態を回避する意味でも、一般的なブックではクリーチャーの枠に余裕を持たせている。余裕とは、配置される数がせいぜい7、8体であることに対してである。
何故そういった選択が採られるかは言うまでもなく、土地を確保しなければならないからだ。連鎖、周回ボーナス、増資、それによる現金処理、他者のカード消費、ルート作り、通行料、諸々。これらの多くは土地があってこそのイベントであり、総魔力の多寡によってゲームを解決するために必要な行動とも言える。
では逆に、中盤から終盤にかけて、手札から見たクリーチャーの重要度は序盤と比べ極端に下がると考えられる。第一に空き地が少ないか、ほぼ無い。そのためクリーチャーを配置したければ、なんらかの方法で元いるクリーチャーを除去せねばならない。
戦闘での勝利ならば侵略力として能力やアイテム。スペルによる排除であれば、足スペルでぴったり止まるか、領地コマンドやクリーチャー移動を用いるといった方法が求められる。
いずれにせよ、手札のクリーチャー1枚で終盤の空き地をピンポイントに確保するのは確率的に難しいという前提がある。
そうした観点から終盤、手札内での重要度が下がりにくいクリーチャーについて整理しておこう。大まかに分けると次のような分類になる。
・侵略クリーチャー(通行料ダウン系含む)
持ち歩くということは、攻撃よりも牽制の意味合いが強いと考えられる。そこ上げたら殴りますよ、その防具捨てたら(他者得含め)ダメですよ等。また被りが無く属性クリーチャー特有の役割がある時は捨てられない場合もある。サルファ、イエティ、バジレベラー辺りが顕著。
・交換用のクリーチャー
対呪いや侵略クリーチャーへの対応、領地能力や応援、アイドルなど防御から攻撃まで多岐に渡るが、いずれにしても応手であり後手である。でなければ引きが悪かったか、損失を請け負っている状態だ。(それが悪手とは言い切れない)
・援護餌クリーチャー
割愛。上2つと重複し供給量も使える時間も多いため、今回は取り上げない。
これらの用法が示しているのは、高額や連鎖を攻める・守ることであり、言い換えればゲームを終わらせない・終わらせるために手札にあるべきクリーチャーと考えて差し支えない。便宜上これらを保持札と呼称する。
手札効率を追求した時、乱暴な言い方をすれば、たとえ保持札クリーチャーであろうと無駄に保持するよりは捨ててしまって利益を優先した方が良いと考えることができる。
だが実際には必要なタイミングより早く来てしまった場合でも、保持することで盤面にどのような影響をもたらすかについてアンテナを張る必要がある。
■清算効率を犠牲に効率を呼ぶ
捨てても良い、むしろ捨てて自分伸ばしを優先したい。そのために供給されたカードを効率良く清算して利益を得たい。しかし後々この保持札は必要になるかもしれない・・・
まだブックに残ってるなら捨てるのも手だし、本当に速度や手順を優先した方が良い時もある。後述するが、一度捨てる事で他者からの警戒を解いたり、逆に役割を一時放棄することによって全体の危機意識を引き上げる効果も期待できる。悪くない。
だがそういった自分を優先する手を選んでしまいがちな背景には、保持札を「持たされる」ことによる停滞への難色と、他者の手札自由度の増加が考えられる。あいつが持つならいいや。いやいやオレだけやらされてたまるか。こうしたやり取りもカルドの華だが、これらによって一時的に下位に回る、伸び悩むといった状況が即敗着に繋がることは少ないということを、ここでは強調したい。
例えば総魔力の伸びに寄与する足スペルや収入カードがもたらす要素は、ダイスや通行料などの代替手段によって、後からでも取り返せる可逆性を内包している。
一方、中終盤唯一の決め手となる保持札を流した場合には、残弾がなければ少なくとも自分からのイベントは発生しない。
伸ばしの選択においてカード依存度が低いのは利点だが、乱数の影響下で上下幅が広がり自分一人でのコントロールがしにくい。それに対し、侵略に有効な手持ちクリの保持の場合。増資を抑制することで本来必要だった回避用足スペルがチャラになったり。防御アイテムや上書き呪いの保持、交換用クリーチャーの保持を早い段階から強いることができるかもしれない。これだけでも自分が犠牲にしている清算効率の穴埋めとなり得る。さらにいけば、配置済みのクリを交換用として回収させ領地コマンド数やマナの浪費を誘発するといった形で、実に多くのリソースに対して攻撃できる期待もある。
複数の相手に対してこのような効果が発揮できるならば、ボードコントロールとして多大な効率を生み出しているとさえ言えるし、他者との組み合わせ=擬似同盟も生まれ難易度は下がる。なにも自分一人が不利益を抱え込んでいるわけではないのだ。
もちろん度合いや限度にもよる。初手で1枚きりのアースシェイカーが来てしまい保持し続けても、苦労の見返りは望めないだろう。
バックアップとリカバリを投げうちこの2Rで差し切らないと勝ちは無し、なんて試合もある。
ただ持ち歩いて半端な停滞を誘うのでは意味が無い。重要なのは、自分の今後のドローから有利となる局面を予想立てて、計画的に盤面作りに参加していくことにある。
それは必ずしも自分が支配的立場にいなくてはならない、ということでもない。自分が支配者にしろ何かの部品にしろ、影響を与えるべく役割を提示しているという意思表示が大事なのだ。その観点から手札保持は、シンプルな意図ながら場を複雑にし、実に効率的な一面も有している。
役割の提示を重要視しているからこそ、自分は時として、ソロプレイのようにシステムとだけ向き合っているような取捨選択に苛立ちや虚無を感じることがある。今回は手札の清算効率をテーマに、手札保持の効用を述べた。
長いので今回はここまで。
次回は捨てられる方のカードとその選択について論じる。サンキュー。
カルドの醍醐味の一つに、手札を捨てることについて言及したのはセプターT氏であるが、今回は自分の手札についての考えを述べていこうと思う。
■疑惑の手札清算効率
まず一つに「手札の清算効率」という概念について、部分的には批判的立場にいることから述べていこう。
50枚のカードは、どれもがゲーム内で効果的に利益を上げることを想定して搭載される。手札を使わずに捨てる行為は、少なくとも50の枠から見て損失であるという考え方だ。
いくつかの要素は重要度が高く、ドローの確率を上げるため枚数を多く取られている。最たる例が領地コストの無いクリーチャーで、これを20R中1枚も引けないとなると壊滅的な劣勢を強いられる。
そのような事態を回避する意味でも、一般的なブックではクリーチャーの枠に余裕を持たせている。余裕とは、配置される数がせいぜい7、8体であることに対してである。
何故そういった選択が採られるかは言うまでもなく、土地を確保しなければならないからだ。連鎖、周回ボーナス、増資、それによる現金処理、他者のカード消費、ルート作り、通行料、諸々。これらの多くは土地があってこそのイベントであり、総魔力の多寡によってゲームを解決するために必要な行動とも言える。
では逆に、中盤から終盤にかけて、手札から見たクリーチャーの重要度は序盤と比べ極端に下がると考えられる。第一に空き地が少ないか、ほぼ無い。そのためクリーチャーを配置したければ、なんらかの方法で元いるクリーチャーを除去せねばならない。
戦闘での勝利ならば侵略力として能力やアイテム。スペルによる排除であれば、足スペルでぴったり止まるか、領地コマンドやクリーチャー移動を用いるといった方法が求められる。
いずれにせよ、手札のクリーチャー1枚で終盤の空き地をピンポイントに確保するのは確率的に難しいという前提がある。
そうした観点から終盤、手札内での重要度が下がりにくいクリーチャーについて整理しておこう。大まかに分けると次のような分類になる。
・侵略クリーチャー(通行料ダウン系含む)
持ち歩くということは、攻撃よりも牽制の意味合いが強いと考えられる。そこ上げたら殴りますよ、その防具捨てたら(他者得含め)ダメですよ等。また被りが無く属性クリーチャー特有の役割がある時は捨てられない場合もある。サルファ、イエティ、バジレベラー辺りが顕著。
・交換用のクリーチャー
対呪いや侵略クリーチャーへの対応、領地能力や応援、アイドルなど防御から攻撃まで多岐に渡るが、いずれにしても応手であり後手である。でなければ引きが悪かったか、損失を請け負っている状態だ。(それが悪手とは言い切れない)
・援護餌クリーチャー
割愛。上2つと重複し供給量も使える時間も多いため、今回は取り上げない。
これらの用法が示しているのは、高額や連鎖を攻める・守ることであり、言い換えればゲームを終わらせない・終わらせるために手札にあるべきクリーチャーと考えて差し支えない。便宜上これらを保持札と呼称する。
手札効率を追求した時、乱暴な言い方をすれば、たとえ保持札クリーチャーであろうと無駄に保持するよりは捨ててしまって利益を優先した方が良いと考えることができる。
だが実際には必要なタイミングより早く来てしまった場合でも、保持することで盤面にどのような影響をもたらすかについてアンテナを張る必要がある。
■清算効率を犠牲に効率を呼ぶ
捨てても良い、むしろ捨てて自分伸ばしを優先したい。そのために供給されたカードを効率良く清算して利益を得たい。しかし後々この保持札は必要になるかもしれない・・・
まだブックに残ってるなら捨てるのも手だし、本当に速度や手順を優先した方が良い時もある。後述するが、一度捨てる事で他者からの警戒を解いたり、逆に役割を一時放棄することによって全体の危機意識を引き上げる効果も期待できる。悪くない。
だがそういった自分を優先する手を選んでしまいがちな背景には、保持札を「持たされる」ことによる停滞への難色と、他者の手札自由度の増加が考えられる。あいつが持つならいいや。いやいやオレだけやらされてたまるか。こうしたやり取りもカルドの華だが、これらによって一時的に下位に回る、伸び悩むといった状況が即敗着に繋がることは少ないということを、ここでは強調したい。
例えば総魔力の伸びに寄与する足スペルや収入カードがもたらす要素は、ダイスや通行料などの代替手段によって、後からでも取り返せる可逆性を内包している。
一方、中終盤唯一の決め手となる保持札を流した場合には、残弾がなければ少なくとも自分からのイベントは発生しない。
伸ばしの選択においてカード依存度が低いのは利点だが、乱数の影響下で上下幅が広がり自分一人でのコントロールがしにくい。それに対し、侵略に有効な手持ちクリの保持の場合。増資を抑制することで本来必要だった回避用足スペルがチャラになったり。防御アイテムや上書き呪いの保持、交換用クリーチャーの保持を早い段階から強いることができるかもしれない。これだけでも自分が犠牲にしている清算効率の穴埋めとなり得る。さらにいけば、配置済みのクリを交換用として回収させ領地コマンド数やマナの浪費を誘発するといった形で、実に多くのリソースに対して攻撃できる期待もある。
複数の相手に対してこのような効果が発揮できるならば、ボードコントロールとして多大な効率を生み出しているとさえ言えるし、他者との組み合わせ=擬似同盟も生まれ難易度は下がる。なにも自分一人が不利益を抱え込んでいるわけではないのだ。
もちろん度合いや限度にもよる。初手で1枚きりのアースシェイカーが来てしまい保持し続けても、苦労の見返りは望めないだろう。
バックアップとリカバリを投げうちこの2Rで差し切らないと勝ちは無し、なんて試合もある。
ただ持ち歩いて半端な停滞を誘うのでは意味が無い。重要なのは、自分の今後のドローから有利となる局面を予想立てて、計画的に盤面作りに参加していくことにある。
それは必ずしも自分が支配的立場にいなくてはならない、ということでもない。自分が支配者にしろ何かの部品にしろ、影響を与えるべく役割を提示しているという意思表示が大事なのだ。その観点から手札保持は、シンプルな意図ながら場を複雑にし、実に効率的な一面も有している。
役割の提示を重要視しているからこそ、自分は時として、ソロプレイのようにシステムとだけ向き合っているような取捨選択に苛立ちや虚無を感じることがある。今回は手札の清算効率をテーマに、手札保持の効用を述べた。
長いので今回はここまで。
次回は捨てられる方のカードとその選択について論じる。サンキュー。
- THEME : ゲームプレイ日記・雑記
- GENRE : ゲーム
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