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贅沢な悩み?ゲームの憂鬱1
- 2010-11-09 /
- 自戒
どうも、あかしゅです。
へんな時間に起きちゃったので書きかけの日記でもうpるか・・・
特定のゲームの話題でない場合はプロフィール欄の「管理人」ということでコレでいくことにします。
そして新カテゴリーの自戒ですが、
雑記などのちょっとした記事よりも真面目に重くダラダラした記事をこちらにまとめる形にします。
最近のゲーム的な話題。・・・なんだろw
とりあえず1月から頑張っていたセプト部のダウンロードマラソン、
先週ようやく完走いたしました。

黒星も随分多いけど、走りきって良かったよ。普段やらないようなマップもたくさん対戦できたし。
ブック解説や対戦レポはコチラから→素破とふしぎな巻物 「完走!」
競争ではなく皆が自主的に楽しむための企画ということで、大変満足いくものでした。
そうなんだよなぁ・・・ゲームって本来そうなんだよ。
楽しみ方は人それぞれ、あくまで自分がどう向き合うかについての記事である、という前提で。
ゲームにおける「対戦」について最近、ものすごく?マークだらけになってきちゃったんですよね。
その辺を今日はダラダラ語ってみようと思います。
【後日追記】読み返してみたけど、だいぶひどい内容っすw
早朝の妙なテンション、被害妄想、謎の使命感たっぷり入っちゃってる上に地獄長文なんで、
あくまでチラ裏とご理解いただける方のみどーぞ。消したり訂正する気はないです。
へんな時間に起きちゃったので書きかけの日記でもうpるか・・・
特定のゲームの話題でない場合はプロフィール欄の「管理人」ということでコレでいくことにします。
そして新カテゴリーの自戒ですが、
雑記などのちょっとした記事よりも真面目に重くダラダラした記事をこちらにまとめる形にします。
最近のゲーム的な話題。・・・なんだろw
とりあえず1月から頑張っていたセプト部のダウンロードマラソン、
先週ようやく完走いたしました。

黒星も随分多いけど、走りきって良かったよ。普段やらないようなマップもたくさん対戦できたし。
ブック解説や対戦レポはコチラから→素破とふしぎな巻物 「完走!」
競争ではなく皆が自主的に楽しむための企画ということで、大変満足いくものでした。
そうなんだよなぁ・・・ゲームって本来そうなんだよ。
楽しみ方は人それぞれ、あくまで自分がどう向き合うかについての記事である、という前提で。
ゲームにおける「対戦」について最近、ものすごく?マークだらけになってきちゃったんですよね。
その辺を今日はダラダラ語ってみようと思います。
【後日追記】読み返してみたけど、だいぶひどい内容っすw
早朝の妙なテンション、被害妄想、謎の使命感たっぷり入っちゃってる上に地獄長文なんで、
あくまでチラ裏とご理解いただける方のみどーぞ。消したり訂正する気はないです。
そのゲームを始めるきっかけだったりとか楽しみ方は
プレイヤーの数だけあるってのは当然なんだけど、
それが結局の所全て、
「対戦=勝ち負け」という物差しに集約されてしまうのってどういうことなんだと。
全てってのは言い過ぎか。犬育てるゲームとかもあるしねw
同じ育てるでもポケモンあるじゃんかポケモン。
実際自分もやってたし今さら何恥ずかしいこと言っちゃってんのってな所だけど、
現実に犬とかハムスター飼ってて戦わせないよなぁ。
ちっこいかわいいポケモンをわざわざガチムチに鍛えて、
とりあえず勝つために必要だからと愛着もない種類の強いやつを厳選?とかして、
そんでHPのメーター一瞬でガクーッてさして大事なポケモン倒れてそんで勝った負けたー!
虚しくないですか?
すんごい幼稚な思考で説明すっとそんな感じですよ。
でも将棋で人間とコンピューターが戦って人間に勝ったとか、
やっとコンピューターが、やっと人間に勝てるレベルまで来ましたていうことを報道してるんですよ。
細かい事情とか知らんけど、結局人間が何十手先まで読み合って精神すり減らして戦ってるのが
すごいんであって、無敗のコンピューターが完成した所で絶望しかないと思うんですよね。
それでもその機械なりソフトなりを作ってる人には人生を賭ける程の価値があるかもしれないし、
端から見てるオレに判断させるべきじゃないんですよ、どういう価値観であるべきかなんて。
言ってしまえば子供から大人までやってるポケモンの勝ち負けも、
プロ棋士の一手もさして変わらないという結論を、認めざるを得ないということですよ。
そんなわけないと思っててもね。高尚?庶民の娯楽?関係ないぞと。
あ、一応フォローしとくと僕はポケモンは好きですよやってないけど。
「対戦」する意義をインスタントな感じに見出してみたいと思います。
相手が人間であること、その時間を互いに共有すること。この二点です。
対戦ゲームが気軽に楽しめるようになった咋今、切断はつきものです。
故意切断する人ってのは狭量な人かお子ちゃまです。擁護する余地は一切ない。
もちろんここでは急病人が~とかの話は全部スルーします。ややこしくなるのでね。
それで最近ひねくれすぎなせいか、反対側の人、
つまり切断された側にも落ち度はあるんじゃないかなって思うようにもなってしまったんですね。
よく格闘ゲームやシューティングゲームのプレイヤーがごっそりいなくなったのは、
新規と熟練者の格差が大きすぎるのが原因と言われます。
どちらも自宅よりゲーセンで賑わうゲームなのでそこは仕方ないかなという気もしますが、
そのゲームを支えてきたはずのファンが新規参入を阻んでいるという見方も出来てしまいます。
一部のコアなファンを満たすだけのツールに成り下がり、結果市場は縮小されていく。
自宅で気軽に全国のプレイヤーと対戦できるようになった今、
知らず知らずのうちに、真剣にゲームを楽しんでる層がそのゲームの首を絞めてるんじゃないかと。
確かに用意されたルール、同じ土俵の上で全力で戦うことは何も間違っていません。
全力で対戦することが相手への誠意と捉えている方だって多くいるでしょう。
ただそのゲームが本来持っていた様々な楽しみ方の多くは、
アクセスした短い時間の間で日の目をみる事なく、
最大公約数的な要素(主に勝敗)に飲み込まれて主張を許されないのが常。
消費、消費、消費。多数決は正義。わぁ民主的。
いろんな物差しが用意されているゲームだってもちろんたくさんありますよ。
昔自分もMMORPGやってましたが、ゲーム内でほんとにいろんな遊び方ができました。
でもそれが「自由度が高いゲーム」だったか?というと、そうは感じませんでした。
レベルを上げるには膨大な時間と装備、食事が必要。装備や食事を整えるには資金が必要。
資金を得るには生産や金策が不可欠、結局レベルが低いうちはどうあがいても無理と、ループ三昧。
あまりにも膨大なプレイ時間を要するので自分は断念したわけですが、
それでもやってる時は楽しかったし、大人数が集まって協力してプレイするのは魅力的でした。
切断に話を戻すと、切断してる人はあくまで自分の都合で、勝手に切っているわけで、
相手の時間を無駄にさせているんです。重ね重ね、弁明の余地はなしです。
しかし、
切断された側も切った人に対してそれ相応の事を
もしかしたら無意識にやっているんじゃないかと。
相当ムチャな話してるのは承知ですぜ。
んなもん用意されたシステム・ルール内で自分が最良の楽しみ方が出来るよう臨んでるわけで、
勝手に切れてった切断さんを気遣う必要は全くないです。
もちろんそうなんだけど・・・
そうなんだけど。
でも、あなたに「相手と遊ぶ」という意識があったか、
「相手は人間」と表面的に理解していても、画面の向こうで
同じように対戦してる人の姿が果たして浮かんだだろうか。ってなことなんですよ。
そのゲームに向かう上で「相手に勝つ」ことしか考えていない自分に幻滅するんですよね。
ほんとに多くのゲームが、目標達成のモデルとして「勝利」を据えているからこそでもありますけど。
これは個人的にそういうゲームを好んでプレイしてきたのもありますけどね・・・
実際にコミュニティや非コミュニティで大会を開催したり、
より良いレギュレーションをあれこれ考えたり募ったりして
深層心理で色々模索してた部分もあると思います。抗ってやろうという意識があった。
で、今現在そんなにうまくいってるとは思えない。
年始めに企画した対戦会は時期もあるけど閑散としてルールも参加者に易しくなかったし、
夏以降ちょくちょく開催してる大会も正解探しのパズルって感じがしてる。
9月には百人以上集まったイベント内の大会に優勝して浮かれてたけど、
当日は決勝の前に行われた別部門の決勝の歓声とか盛り上がりが羨ましくて仕方なかったし、
全然盛り上がらない内容だった自分の決勝戦ってどんな価値があったのかと考えてしまう。
途中で負けても誰も思いつかないような独自の戦術でプレイしてた人はカッコよかったし、
別ゲームの大会でだって負けようがなんだろうがとにかく大会を盛り上げようって人もいた。
優勝したことに関しては整理できたし、今では嬉しく思ってるけど、
勝敗をひたすら追求することに魅力を感じなくなっているのも否めない。
だからゲーム機を持ってもモチベーションが上がらない。楽しめない。
・・・
・・・なんか鬱な人みたいだなw
メンヘラ日記じゃんと思った人スマンかった戻ってきてくれー\(^o^)/
実際は自分に対してつまんねーよーブーブー!って感じなんですけど。
大会の運営に関してはそういう葛藤もあるけど、
やることに意義があるし、やって良かったなと毎回思うので、そのへんは誤解なきよう。楽しんでます。
魅力を感じないというか、勝てないと面白くないって未だに考えちゃってる自分ももちろんいるな。
それは隠しようがないし、認めなきゃならない部分。
個人個人に線引きがあってどれが正しいというわけではないけど、
もう少し自分は大人になるべきじゃないかとは思う。
それから、自分が抱いてる趣味趣向を否定されたくないっていう心理もあると思う。
ここでメダロットに話題を限定します。
DS版が出て全国のユーザーと気軽に対戦が出来る、
敷居を低くして2chというツールを使って誰でも歓迎な態勢で対戦会が開かれてて、
いろんな所にも呼びかけてて。少なくとも今リアルタイムに活動してる人は存在自体は知ってると思う。
それでもごくごく少数しか参加しないの。最初不思議で仕方なかったんだよね。
でもなんか今ならわかる気もする。
なぜか。
特に8年ぶりの新作ってのも絡んでるかもしれないけど、根強いファンはやはり思い入れも強い。
だからこそ、自分の受け入れがたい分野には触れないでおこうという意識も働くのかもしれない。
すっげー今その気持ちがわかってきた。
2chのイメージがどうとかチャットが内輪でどうとか、そういう問題じゃないんだね。
オレが今頃になって「なんか違う・・・」って感じ始めたものを、
彼らは最初から、あるいは途中から気付いてたのかもしれない。
次第に大会に参加しなくなった方たちも、単に飽きたわけではなく理由あってのことかもしれない。
もちろん自分も含めて今尚継続して大会にやって来る人が変とか間違ってるという話でもない。
メダロット好きで集まって思う存分対戦したらいいし、楽しかったって言ってもらえるとやっぱ嬉しい。
まぁ、さすがにまだメダやってんのかとは思うけどもwある意味すげーよ。
しかし今まさに疑問を感じてるのは自分を含めたそれらの層に対してであることは間違いない。
ひたすら勝利を追求して消費されてく自分の趣味趣向の時間というか。
具体的には第5回の草案の時から危惧していたんですよ。
女型オンリー?何それ楽しそうじゃんやろうやろう!ってなって、
次第に違う案が出てそれは立ち消えになり、
自分もバランス重視のシビアな大会作りに率先して参加していく・・・う~ん。
でまぁ第5回は楽しく終わって、次は女型やるか!となって、今こんな現状ですよ。
こんなんじゃなーい!って感じなんですよ。
配信動画だってそうですよ。
大会の内容をメインに収めるはずだったPart3の内容があんなんになったり、
次回作をいつまでもアップしないのはちゃんと理由があるんです。
次回作なんかもう全然違う方向で作っちゃって出来かけの所まで来てるんですけどね。
オイオイ、
オイオイオイオイちょっと待てよと。
そもそも馴れ合いと程遠い2chというバックグラウンドがあって、
対戦したい人が集まってるわけでさ、そこ否定しちゃったら何も残らねーべ?^^;
至極正論です。あくまで対戦メインの場所ですから、自然とそうなります。
でもね、こんなの絶対いつか人いなくなりますよ。
自分が全体を管理してるとかスレ大会のえらいひと的なイメージ持たれても困るけど、
この企画が継続して行われること、あわよくば3DSの新作以降も賑わってほしいと思うなら、
この閑散期の雰囲気も大事だと思うんですよ。
メダロットってのはそうやって個人レベルまで「支えてる」という意識が無いと
崩壊する文化なんです。だからこそ、長年ファン活動を支えてきた人たちの凄さ・偉大さもわかるし。
復活を望む声があってこその今でしょう。
それを「自分が」「今だけ楽しめればいい」と小さな器で飲み込み消費してしまうのって、
なんだか虚しいなあと思うんですよねえ。
そんな虚しさの積み重ねが「娯楽」なのかな?僕は違うと思うんだよね。
全く逆の立場の視点もあるんです。別ゲームのとあるスレでの話題から思うようになったのですが、
なぜ個人が企業の「商品」、消費の対象である「ゲーム」に、
そこまで尽くさなくてはならないのか?といった面です。
これについては長くなるのでまた別の機会に。
大きな問題として捉えてたけど、結局の所はそういった個人レベルの小さい問題なのかもね。
最後はどこに線を引くかで納得しなきゃならないわけだしね。納得というか満足というか。
近頃はそんな気分ですよということで、記事に残しておくことにしました。
リアルでも守りに入ってる人たちのことを低く評価し勝負しない人なんて言ってきたけど、
そんな自分を恥ずかしく思いつつ、でもじゃあ守るのは本当に正しいのか?という問に
答えを出せずにいる現在であります。
プレイヤーの数だけあるってのは当然なんだけど、
それが結局の所全て、
「対戦=勝ち負け」という物差しに集約されてしまうのってどういうことなんだと。
全てってのは言い過ぎか。犬育てるゲームとかもあるしねw
同じ育てるでもポケモンあるじゃんかポケモン。
実際自分もやってたし今さら何恥ずかしいこと言っちゃってんのってな所だけど、
現実に犬とかハムスター飼ってて戦わせないよなぁ。
ちっこいかわいいポケモンをわざわざガチムチに鍛えて、
とりあえず勝つために必要だからと愛着もない種類の強いやつを厳選?とかして、
そんでHPのメーター一瞬でガクーッてさして大事なポケモン倒れてそんで勝った負けたー!
虚しくないですか?
すんごい幼稚な思考で説明すっとそんな感じですよ。
でも将棋で人間とコンピューターが戦って人間に勝ったとか、
やっとコンピューターが、やっと人間に勝てるレベルまで来ましたていうことを報道してるんですよ。
細かい事情とか知らんけど、結局人間が何十手先まで読み合って精神すり減らして戦ってるのが
すごいんであって、無敗のコンピューターが完成した所で絶望しかないと思うんですよね。
それでもその機械なりソフトなりを作ってる人には人生を賭ける程の価値があるかもしれないし、
端から見てるオレに判断させるべきじゃないんですよ、どういう価値観であるべきかなんて。
言ってしまえば子供から大人までやってるポケモンの勝ち負けも、
プロ棋士の一手もさして変わらないという結論を、認めざるを得ないということですよ。
そんなわけないと思っててもね。高尚?庶民の娯楽?関係ないぞと。
あ、一応フォローしとくと僕はポケモンは好きですよやってないけど。
「対戦」する意義をインスタントな感じに見出してみたいと思います。
相手が人間であること、その時間を互いに共有すること。この二点です。
対戦ゲームが気軽に楽しめるようになった咋今、切断はつきものです。
故意切断する人ってのは狭量な人かお子ちゃまです。擁護する余地は一切ない。
もちろんここでは急病人が~とかの話は全部スルーします。ややこしくなるのでね。
それで最近ひねくれすぎなせいか、反対側の人、
つまり切断された側にも落ち度はあるんじゃないかなって思うようにもなってしまったんですね。
よく格闘ゲームやシューティングゲームのプレイヤーがごっそりいなくなったのは、
新規と熟練者の格差が大きすぎるのが原因と言われます。
どちらも自宅よりゲーセンで賑わうゲームなのでそこは仕方ないかなという気もしますが、
そのゲームを支えてきたはずのファンが新規参入を阻んでいるという見方も出来てしまいます。
一部のコアなファンを満たすだけのツールに成り下がり、結果市場は縮小されていく。
自宅で気軽に全国のプレイヤーと対戦できるようになった今、
知らず知らずのうちに、真剣にゲームを楽しんでる層がそのゲームの首を絞めてるんじゃないかと。
確かに用意されたルール、同じ土俵の上で全力で戦うことは何も間違っていません。
全力で対戦することが相手への誠意と捉えている方だって多くいるでしょう。
ただそのゲームが本来持っていた様々な楽しみ方の多くは、
アクセスした短い時間の間で日の目をみる事なく、
最大公約数的な要素(主に勝敗)に飲み込まれて主張を許されないのが常。
消費、消費、消費。多数決は正義。わぁ民主的。
いろんな物差しが用意されているゲームだってもちろんたくさんありますよ。
昔自分もMMORPGやってましたが、ゲーム内でほんとにいろんな遊び方ができました。
でもそれが「自由度が高いゲーム」だったか?というと、そうは感じませんでした。
レベルを上げるには膨大な時間と装備、食事が必要。装備や食事を整えるには資金が必要。
資金を得るには生産や金策が不可欠、結局レベルが低いうちはどうあがいても無理と、ループ三昧。
あまりにも膨大なプレイ時間を要するので自分は断念したわけですが、
それでもやってる時は楽しかったし、大人数が集まって協力してプレイするのは魅力的でした。
切断に話を戻すと、切断してる人はあくまで自分の都合で、勝手に切っているわけで、
相手の時間を無駄にさせているんです。重ね重ね、弁明の余地はなしです。
しかし、
切断された側も切った人に対してそれ相応の事を
もしかしたら無意識にやっているんじゃないかと。
相当ムチャな話してるのは承知ですぜ。
んなもん用意されたシステム・ルール内で自分が最良の楽しみ方が出来るよう臨んでるわけで、
勝手に切れてった切断さんを気遣う必要は全くないです。
もちろんそうなんだけど・・・
そうなんだけど。
でも、あなたに「相手と遊ぶ」という意識があったか、
「相手は人間」と表面的に理解していても、画面の向こうで
同じように対戦してる人の姿が果たして浮かんだだろうか。ってなことなんですよ。
そのゲームに向かう上で「相手に勝つ」ことしか考えていない自分に幻滅するんですよね。
ほんとに多くのゲームが、目標達成のモデルとして「勝利」を据えているからこそでもありますけど。
これは個人的にそういうゲームを好んでプレイしてきたのもありますけどね・・・
実際にコミュニティや非コミュニティで大会を開催したり、
より良いレギュレーションをあれこれ考えたり募ったりして
深層心理で色々模索してた部分もあると思います。抗ってやろうという意識があった。
で、今現在そんなにうまくいってるとは思えない。
年始めに企画した対戦会は時期もあるけど閑散としてルールも参加者に易しくなかったし、
夏以降ちょくちょく開催してる大会も正解探しのパズルって感じがしてる。
9月には百人以上集まったイベント内の大会に優勝して浮かれてたけど、
当日は決勝の前に行われた別部門の決勝の歓声とか盛り上がりが羨ましくて仕方なかったし、
全然盛り上がらない内容だった自分の決勝戦ってどんな価値があったのかと考えてしまう。
途中で負けても誰も思いつかないような独自の戦術でプレイしてた人はカッコよかったし、
別ゲームの大会でだって負けようがなんだろうがとにかく大会を盛り上げようって人もいた。
優勝したことに関しては整理できたし、今では嬉しく思ってるけど、
勝敗をひたすら追求することに魅力を感じなくなっているのも否めない。
だからゲーム機を持ってもモチベーションが上がらない。楽しめない。
・・・
・・・なんか鬱な人みたいだなw
メンヘラ日記じゃんと思った人スマンかった戻ってきてくれー\(^o^)/
実際は自分に対してつまんねーよーブーブー!って感じなんですけど。
大会の運営に関してはそういう葛藤もあるけど、
やることに意義があるし、やって良かったなと毎回思うので、そのへんは誤解なきよう。楽しんでます。
魅力を感じないというか、勝てないと面白くないって未だに考えちゃってる自分ももちろんいるな。
それは隠しようがないし、認めなきゃならない部分。
個人個人に線引きがあってどれが正しいというわけではないけど、
もう少し自分は大人になるべきじゃないかとは思う。
それから、自分が抱いてる趣味趣向を否定されたくないっていう心理もあると思う。
ここでメダロットに話題を限定します。
DS版が出て全国のユーザーと気軽に対戦が出来る、
敷居を低くして2chというツールを使って誰でも歓迎な態勢で対戦会が開かれてて、
いろんな所にも呼びかけてて。少なくとも今リアルタイムに活動してる人は存在自体は知ってると思う。
それでもごくごく少数しか参加しないの。最初不思議で仕方なかったんだよね。
でもなんか今ならわかる気もする。
なぜか。
特に8年ぶりの新作ってのも絡んでるかもしれないけど、根強いファンはやはり思い入れも強い。
だからこそ、自分の受け入れがたい分野には触れないでおこうという意識も働くのかもしれない。
すっげー今その気持ちがわかってきた。
2chのイメージがどうとかチャットが内輪でどうとか、そういう問題じゃないんだね。
オレが今頃になって「なんか違う・・・」って感じ始めたものを、
彼らは最初から、あるいは途中から気付いてたのかもしれない。
次第に大会に参加しなくなった方たちも、単に飽きたわけではなく理由あってのことかもしれない。
もちろん自分も含めて今尚継続して大会にやって来る人が変とか間違ってるという話でもない。
メダロット好きで集まって思う存分対戦したらいいし、楽しかったって言ってもらえるとやっぱ嬉しい。
まぁ、さすがにまだメダやってんのかとは思うけどもwある意味すげーよ。
しかし今まさに疑問を感じてるのは自分を含めたそれらの層に対してであることは間違いない。
ひたすら勝利を追求して消費されてく自分の趣味趣向の時間というか。
具体的には第5回の草案の時から危惧していたんですよ。
女型オンリー?何それ楽しそうじゃんやろうやろう!ってなって、
次第に違う案が出てそれは立ち消えになり、
自分もバランス重視のシビアな大会作りに率先して参加していく・・・う~ん。
でまぁ第5回は楽しく終わって、次は女型やるか!となって、今こんな現状ですよ。
こんなんじゃなーい!って感じなんですよ。
配信動画だってそうですよ。
大会の内容をメインに収めるはずだったPart3の内容があんなんになったり、
次回作をいつまでもアップしないのはちゃんと理由があるんです。
次回作なんかもう全然違う方向で作っちゃって出来かけの所まで来てるんですけどね。
オイオイ、
オイオイオイオイちょっと待てよと。
そもそも馴れ合いと程遠い2chというバックグラウンドがあって、
対戦したい人が集まってるわけでさ、そこ否定しちゃったら何も残らねーべ?^^;
至極正論です。あくまで対戦メインの場所ですから、自然とそうなります。
でもね、こんなの絶対いつか人いなくなりますよ。
自分が全体を管理してるとかスレ大会のえらいひと的なイメージ持たれても困るけど、
この企画が継続して行われること、あわよくば3DSの新作以降も賑わってほしいと思うなら、
この閑散期の雰囲気も大事だと思うんですよ。
メダロットってのはそうやって個人レベルまで「支えてる」という意識が無いと
崩壊する文化なんです。だからこそ、長年ファン活動を支えてきた人たちの凄さ・偉大さもわかるし。
復活を望む声があってこその今でしょう。
それを「自分が」「今だけ楽しめればいい」と小さな器で飲み込み消費してしまうのって、
なんだか虚しいなあと思うんですよねえ。
そんな虚しさの積み重ねが「娯楽」なのかな?僕は違うと思うんだよね。
全く逆の立場の視点もあるんです。別ゲームのとあるスレでの話題から思うようになったのですが、
なぜ個人が企業の「商品」、消費の対象である「ゲーム」に、
そこまで尽くさなくてはならないのか?といった面です。
これについては長くなるのでまた別の機会に。
大きな問題として捉えてたけど、結局の所はそういった個人レベルの小さい問題なのかもね。
最後はどこに線を引くかで納得しなきゃならないわけだしね。納得というか満足というか。
近頃はそんな気分ですよということで、記事に残しておくことにしました。
リアルでも守りに入ってる人たちのことを低く評価し勝負しない人なんて言ってきたけど、
そんな自分を恥ずかしく思いつつ、でもじゃあ守るのは本当に正しいのか?という問に
答えを出せずにいる現在であります。
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